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試される九州 ~自然は恐ろしい。でも、人もそんなに弱くない。~

大分県連合青年団団長 阿南 貴詞

<目次>
1)試される九州

2)福岡県東峰村にて~平成29年九州北部豪雨災害ボランティア~
 (1)平成29年7月5日~これまでに経験したことのない大雨が九州を襲う~
 (2)7月6日~防災センターへ。後方支援も大変だった~
 (3)防災センターを通じて学ぶ~備えと現場の声の大切さ~
 (4)福岡県東峰村災害ボランティアへ~九州はひとつ~

3)大分県津久見市、佐伯市にて~台風18号災害ボランティア~
 (1)台風18号が大分を襲う
 (2)津久見市災害ボランティアへ~後方支援の大切さ~
 (3)佐伯市災害ボランティアへ~観光資源も大切~

4)自然と生きる~これからの自然災害に備えて。人もそんなに弱くない。~

1)試される九州
九州は自然アイランドだ。山も海もある。だから、美味しい幸もあれば温泉もある。私の地元、大分県豊後大野(ぶんごおおの)市は、日本ジオパーク(地質とふれあい活用する地域)とユネスコ・エコパーク(多様な生物が共生する地域)の2つに認定されるほど、まさに自然に恵まれている。自然とともに生きている。
しかし、自然は時として恐ろしい。地震、大雨、噴火、大雪…、私たち人間に試練を与える。自然とともに生きるとは、こういうことだ。
いま、九州は試されている。平成28年4月に熊本地震、平成29年7月には九州北部豪雨、同9月には台風18号。多くの犠牲があり、不安も生じている。どうしていま、自然は九州の人間にこんなにも厳しい試練を与えるのだろうか…。

  私は、県職員である。現場に赴くこともあれば、被災地と県防災センターとの連絡役も担った。熊本地震の際は、熊本県阿蘇地域との県境、竹田市で土木部署に勤務。暗い夜中に、管内を点検し、応急処置を行った。 九州北部豪雨の際は、防災局を管轄する生活環境部署に勤務。県の防災拠点である防災センターで、現地と避難所に関する情報収集および連絡役を務めた。24時間勤務や休日出勤は当然で心身ともに辛かったが、それ以上に苦しまれている県民も多く、立ち止まっている暇はなかった。公務員であるから、当然である。その中で学んだことは、「備えがいかに大切か」、「現場の声を聞くことが大切」ということだ。

  一方で、仕事では災害復旧に携わりながら、私は被災者でもある。熊本地震や九州北部豪雨では、全国の青年団仲間から、心配や激励の声を頂いた。日本青年団協議会(「日青協」)からも、激励やFacebookにおける情報連絡板設置などの対応を頂いた。みなさまに感謝申し上げたい。ありがとうございました。青年団仲間の存在の大きさを感じた。そして、このつながりが、のちに福岡県東峰村での災害ボランティアにもつながる。

  以下、平成29年九州北部豪雨と台風18号に関する被害状況、ボランティア内容、学びなどを紹介する。

写真1
熊本地震時の竹田市の被害状況1。竹田総合庁舎(職場)の屋根瓦が大量に落下。
落下時、大きな音を立てており、恐怖を感じた。

写真2
熊本地震時の竹田市の被害状況2。高台の石材店にあった石灯篭が、下を走る幹線道路沿いに落下。
    さらに石灯篭は、街頭を直撃。街頭の破片が道路に散乱していた。(写真は地震数日後の様子)

(2)福岡県東峰村にて~平成29年九州北部豪雨災害ボランティア~
 1)平成29年7月5日~これまでに経験したことのない大雨が九州を襲う~
   「ピリリリリリ…大雨避難情報です」。携帯電話やスマートフォンで、大きな注意音がけたたましく流れたあの瞬間を、今でも鮮明に覚えている。そして、このあと大きな脅威が九州を襲うこととなるとは…「大 丈夫だろう」と甘くみていた当時の私に反省。  平成29年7月5日の夜、私は大分市で研修を受講し、大分市で宿泊のスケジュールだった(自宅のある豊後大野市には帰宅しない)。

19時過ぎ、私は大分市で研修受講中だった。その時、いきなり教室内に大きなサイレンがけたたましく鳴り響いた。「大分市野津原地区で避難勧告」というアラートが、各自の携帯電話やスマートフォンで届いた。受講者は皆、「驚いた。何事だ!?」と声をそろえて、室内は騒然とした。その5分後、またもや大きなサイレン。「今度は大分市大南地区で避難勧告か~。大変なことになっているなあ」と、受講生。結果、研修は予定よりも1時間早く切り上げて終了。各自注意しながら帰ることとなった。この時の大分市は、滝のような大雨で、地面にたたきつける雨音が大きく、驚いた。

その後、私は宿泊先のホテルへ。21時過ぎ頃、一本の電話が入る。日青協からだった。「大分は大丈夫ですか。もしよろしければ、大分県内の青年団の安否確認を行ってほしい。また、Facebookで情報連絡板を作成したので活用してほしい」とのこと。迅速な対応に感謝である。ただ一方で、課題もあった。当時も執筆時現在も、大分県団は私1人のみである。そのため、各団への安否確認など、負担が大きかった。結果として、安否確認が遅くなってしまったという反省がある。やはり、県団は1人だけでは大きな負担だ。平成30年度には県団仲間を増やすよう、現在県内の青年団へオルグを行っているところだ。「仲間は多い方が、緊急時に助けられる」ということを感じた。

2)7月6日~防災センターへ。後方支援も大変だった~
  翌日、出勤してすぐに県の防災センターに赴き、避難所情報に関する連絡調整役を務めた。防災センターでは、ただならぬ緊張感、錯綜する情報、意思決定に至るまでの紆余曲折など、その雰囲気は当然のことながら重く、心身ともに堪えた。豪雨では、大分県西部の日田(ひた)市に特に大きな被害が発生との情報を受ける。ただ、現地の様子は写真や電話での聞き取り、メディア報道でしか情報入手できず、いま一つ現地の状況が見えず苦労した。このような任務から開放され、豊後大野市の自宅へ帰宅できたのは、翌6日の22時だっただろう。

 

とにかく疲れており、帰宅後すぐに就寝。結局は体調を崩し、恐縮ながら、翌日は仕事を休んだ。被災者はこれとは比べものにならぬほど大変な状況下で申し訳ないが、私自身も大変きつかった。   このような状況だったため、「青年団員への安否確認が遅れた(県団1人だけでは連絡調整が苦痛)」、「地元豊後大野の被害状況がわからない(豊後大野に帰宅したのは豪雨から1日程経った日であり、しかも夜で暗く状況が見えない)」、「被害の大きかった日田市の状況も実はあまりよく把握できていなかった」という結果となった。大変申し訳ないことだが、これが本音・現実だった。ご容赦願いたい。   なお、大分県内の青年団員については、1名の実家が浸水被害にあったが、すぐに復旧したとのこと。それ以外の被害報告は無い。

 3)防災センターを通じて学ぶ~備えと現場の声の大切さ~
  先述のとおり、防災センターでは大変苦労した。後方支援でもここまで大変なら、被災者の大変さは計り知れないものだろう。ただ、学んだことも2つある。今回は後方支援側の立場での学びであるため、被災者側とは異なることもあろう。ただ、参考になれば幸いである。

  

①「備えは大切」    「備えあれば憂いなし」はご承知の通りだろう。想定外の災害とはいえ、備えていればある程度の好対応ができるかもしれない。特に、「訓練」と「食料」は大切である。    「訓練」とは、手順を覚えておくこと、心構えをすることである。緊急時に役立つ。今回の防災センター業務では、私は割と早い段階で連絡調整方法のポイントを押さえられた。というのも、その数か月前に、大分県をあげての大型防災訓練を行っていたからである。その際、私は今回と同様の連絡調整係であった。    訓練では失敗を繰り返した。この訓練失敗の反省を生かしたことで(メモ帳を大量に用紙しておくなど)、実際の災害時には円滑に業務を進められた。この連絡調整業務に限らず、防災全体にも通じることではないか。「避難経路を事前確認する」ことだけでも、いざという時にとっさに行動できるかもしれない。    「食料」もやはり大切だ。被災地ももちろん、後方支援側にも食料が大切である。今回、職場に備蓄があったので、長時間業務でもなんとか凌ぐことができた。いつ災害に襲われるかはわからない。当然のことながら、平常時に備蓄しておくことで、非常時に救われるだろう。

 

②「現場の声を聞く」     災害発生から数日後。私は、日田市の避難所の物品ニーズを現地の管理人に電話確認する業務を担当。県の考えでは、「横になるソファーがもっと必要だろう」、「プライバシー配慮のため間仕切り板が必要だろう」と予想していた。     しかし、現場の声は違った。「ソファーは不要。床敷きで寝床は足りているし、むしろソファーは場所をとり邪魔になるという意見も多い」、「間仕切りも不要。ここに避難している方はみな同じ隣保班(隣組のようなもの)で地縁が強く、お互いを気遣いして生活できている。むしろ、間仕切りが邪魔という声もあり」。県の考えとは正反対であった。現場のニーズは、現場の人間でないと分らないことを強く感じた。危うくありがた迷惑をするところであり、貴重な意見を聴けたと、防災センター内でも現場確認してよかったと振り返った。

阪神淡路大震災や東日本大震災でもあったケースのようだが、支援物資を善意で届けても、被災地にとってはかえって不要品となることもある。「被災地を助けたい」と強い想いを持つのは大事だが、先走りには気をつけねばと学んだ。「現地では何が本当に必要なのか。現地の方のニーズを聴き、適切な対応をとること」が大切。迅速さも大切だが、「冷静さ」と「正確性」も大切だと今回学んだ。

 4)福岡県東峰村災害ボランティアへ~九州はひとつ~
  豪雨から1か月ほど経過した、8月初頭。九州ブロック青年団協議会(「九ブロ」)内で、「福岡県東峰(とうほう)村で災害ボランティアしませんか」との誘いがあった。その誘いに私は乗った。「大分県ももちろん、同じ九州で同じ大被害が発生している。東峰村とは縁がある。全国青研や九州青年祭で、東峰村の青年団員と一緒に活動した。日青協主催の地域フォーラムで、東峰村をフィールドワークした縁もある。そして、青年団の若き力を、災害復旧で役立てたい。」…そんな想いで、私は参加した。   

8月12日。九ブロから4名(長崎1名・熊本2名・大分1名)の団員が、福岡県東峰村宝珠山(ほうしゅやま)地区に集まった。   私たちの担当業務は、土嚢づくりと排水路づくり。現地は、裏山の土砂崩壊により、山水と土砂が民地に大量に流入。山水がこれ以上民地に流入せぬよう、迂回の排水路を作ることがニーズだ。全国各地から集まった総勢20名ほどのボランティアが作業。私は今回が初めての災害ボランティア。ベテランリーダーやボランティアに、「こまめに休憩を」、「土嚢袋の結び方はこうだよ」などのアドバイスを頂きながら、作業を進めた。また、幸いにも今回は地下鉄の作業員といった土木作業のプロも数名ボランティア参加しており、作業は順調に進められた。午前10時から午後3時までの作業で、土嚢袋は150~200個作られ、立派な排水路が完成した。 大家さんから「大変ありがとうございました。これで安心してお盆を過ごせそうです」と感謝の言葉を頂いた。さらに大家さんからは、お手製の柚こしょうまで頂いた。翌日、この大家お手製の柚こしょうが、地元の道の駅で販売されていると、一緒に活動した団員から連絡が入った。地元でも重宝されている柚こしょう、ありがとうございました。災害でこちらが助けたいと赴いたが、逆にこちらが助けられたと感じた。人の温かさを感じられたボランティア作業。参加し、役に立つことができ、ありがたかった。

ボランティア後、青年団メンバーで近隣の温泉に浸かって、疲れを癒したり、談笑したり。改めて、九州各地のメンバーが、急な誘いにも関わらず4名も集まったことのすごさを感じた。青年団の絆は、深い。みな、ずっと温泉の休憩所から離れられなかった。普段なかなか出会えない大切な仲間。少しの時間でも長く、同じ時間を過ごしたい。そんな想いだった(…と、他の仲間もそう想っていたと信じたい(笑))。各団員は、それぞれのSNSで、このボランティア体験を情報発信した。いまどきの青年団らしい活動だ。こうした情報発信がもとで、支援の輪が少しでも広がってほしいという想いである。このような形でも、私たちにはできる支援はある。   解散後は、大分県日田市に寄った。大分県で最も被害の大きかった地域だ。夕食に、日田焼きそばを頂いた。全国でも注目を集めている、日田のB級グルメだ。パリパリ焼かれた麺は、香ばしく美味しい。こうした、被災地のグルメや特産物を堪能し、経済を回すことも、立派な支援だと考える。

  

東峰村でのボランティアを通じ、人とのつながりの大切さを改めて感じた。自然の脅威は恐ろしい。しかし、人も協力して助け合う。東峰村には連日多くのボランティア参加があり、被災者のニーズに応えている。甚大な被害に対し、人の力は微力で、復興への道のりはまだまだ遠いと現地で感じてきた。しかし、一歩一歩の歩みが、復旧・復興に確実に向かう力になると信じている。私たち青年団員4名の力もその一助となれば幸いだ。今回は青年団同士のつながりの強さも感じられた。そして、被災者の感謝の想いも頂き、こちらが励まされた。人は、支え、支えられながら、自然とともに生きていくのだ。普段から、地元の青年団仲間や地域の方、そして家族と普段から親しくしておくことで、非常に助け合うことができるだろう。

 ※福岡県東峰村災害ボランティアについては、私の所属する大分県豊後大野市青年団なないろベースのブログでも紹介している。参考になれば幸いである。
(記事URL)https://ameblo.jp/nanairo-base/entry-12301237562.html

※以下の写真は、いずれも平成29年8月12日撮影。

写真3:福岡県東峰村宝珠山地区での被害状況写真。役場宝珠山庁舎近くの河川。豪雨から1カ月以上経過も、依然流木や土砂で川が埋められている。

写真4:災害ボランティアセンター宝珠山サテライトにて。多くの物資が全国各地から届けられていた。

写真5:ボランティアセンターに、応援メッセージボード。ガンバロウ東峰村!

写真6:ボランティア現地の様子。奥の土嚢袋および排水路をボランティアの手で作成。手前の土砂や水たまりは、後日、土木業者などプロに任せることとなった。

写真7:参加した九ブロ青年団員の集合写真。アクシデントなく作業できたことは一安心。

写真8:大家から頂いた柚こしょう。おみそ汁や、九州の郷土料理、だご汁(だんご汁)に入れると、ピリッとほのかな辛さと酸味のアクセントが生まれ、おいしい。

写真9:福岡県東峰村に向かう際に通った、大分県日田市大鶴地区の道路。大分県で最も被害の大きかった地区。豪雨から1カ月以上経っても、道路が大幅に崩落したままだった(片側1車線が崩落)。

写真10:日田焼そば。パリパリ麺がおすすめ。ぜひ、被災地の名物も味わっていただきたい。

(3)大分県津久見市、佐伯市にて~台風18号災害ボランティア~
 1)台風18号が大分を襲う   何ということか。豪雨から2か月半後、今度は台風18号が日本列島を襲う。大分県にとっては、豪雨から   の復興途上で、いわば泣きっ面に蜂である。 平成29年9月17日、九州本島に上陸、18日頃、九州を通過。私はその頃、沖縄にいた。九州青年祭に参加していた。当時の沖縄は大雨と強風だったが、台風は通過後だった。大分には18日夜に帰宅。その頃には台風も大分を通過。つまりは、台風とはすれ違いだった。7月の豪雨に続き、台風18号もあいにくリアルタイムでの大分の被害を知らない。重ねてご容赦願いたい。

大分県では、主に南部の3市(臼杵(うすき)市・津久見市・佐伯(さいき)市)で甚大な被害が発生した。土砂崩れで、JR日豊本線が分断されたほどだ。特に、津久見市では市役所1階部分が冠水し、行政機能も滞ったと聞く。

 

2)津久見市災害ボランティアへ~後方支援の大切さ~
  平成29年10月2日、私は業務命令で、津久見市の災害ボランティアセンターで業務援助を行った。担当は、ボランティア資材の受付。スコップや土嚢袋など、必要な道具をボランティアに貸し出した。

  

この日は、雨の平日。休日は100名以上集まりごった返したボランティアセンターも、この日は全体で20名弱ほど。それでも、九州各地や関東からボランティアが訪問し、土砂撤去などの作業を行っていた。ボランティアの方に感謝である。関東からお越しのベテランボランティアは語った、「雨でも、被災者にとっては毎日が不安。遠方からボランティアに来る方は、スケジュールの関係で雨でも必ず被災地入りする。だから、ボランティアセンターはぜひ毎日受け入れ対応をしてほしい」と。貴重なご意見だ。なお、受付のない時間帯は、ボランティアセンター内にある全テントの柱を支えている錘の土嚢交換を行った。この時に学んだことは、「後方支援も大切だ。ボランティアの受け皿もしっかり整っていないと、復興に支障が出る」ということ。様々な立場の人がいて、復興が進むものなのだ。

  

業務後は、津久見市のお土産店で津久見土産を購入。津久見は海の町であり、マグロなど魚介類が名産。また、山の傾斜を利用したみかん栽培も盛んで、海の幸、山の幸に富んでいる。ぜひ、津久見の特産物も購入され、津久見を激励していただきたい。

  

最後に、津久見市役所でのつながりについて。市役所に入ると、なんと前年度に研修で一緒だった津久見市職員と再会。お互い、このような大変な時期での再会となるとは思っていなかった。ただ、その職員の元気な姿を拝見でき、安心した。また再会時、その職員は何と私を津久見市長に紹介して頂いた。市長からは、「本当に助かります。よろしくお願いします。」と激励を頂いた。行政も本当に大変な中、激励いただいたことに感謝申し上げる。

 

※津久見市災害ボランティアについても、なないろベースのブログで紹介している。参考になれば幸いだ。

 

(記事URL)https://ameblo.jp/nanairo-base/entry-12316037455.html

以下の写真は、いずれも平成29年10月2日撮影。

写真11:津久見市役所グラウンド。大量の災害がれきが置かれていた。

写真12:今回担当した資材テント。全国各地からたくさんの寄付あり。ありがとうございます。なお、テントの柱部分の黒い土嚢が、今回補強した部分。ボランティア拠点も大切に。

写真13:テントには、全国各地からの激励メッセージを掲載。画像は、茨城県の高校生から。ありがとう。

写真14:津久見市名産の早生みかん。ボランティアに配布。被災地のみなさま、ありがとうございます。

写真15:業務後に購入した津久見の名産物。どれもしんけん美味しい!ぜひ津久見の名産物をご堪能あれ。

 

3)佐伯市災害ボランティアへ~観光資源も大切~
  台風18号による被害の復旧関係で、平成29年11月15日、今度は佐伯市へ派遣された。県、市など関係機関の職員が集まり、大きな復旧作業を実施した。

 

作業の現場は、藤河内(ふじかわち)渓谷だ。祖母傾(そぼかたむき)国定公園にある渓谷で、平成29年にユネスコ・エコパークに認定された、今後世界から注目されるであろう渓谷だ。白い花崗岩とコバルトブルーの清流が織りなす、心惹かれる渓谷だ。

 

しかし、この渓谷も台風18号の被害を受けた。渓谷の中心地である千枚平でも、多くの土砂や岩石が滞留し、景観を損なっている。観光客や研究者をもてなすためにも、なんとかきれいな状態にしたい。そのような地元の方の想いに応えるため、作業に取り掛かった。

 

作業は体力勝負で、大変困難なものであった。渓谷に滞留する土砂や岩石を、人力で、バケツリレーで運ぶのだ。というのも、渓谷は幹線道路から細い山道を通り、1時間弱の場所にあり。重機が入ることのできない環境にある。だから、人力でしか運び出せない。200m以上あるルートを、50名ほどのメンバーでバケツリレー。渓谷から土砂搬入先である駐車場まで、100段ほどある階段を登って運ぶ。土砂量は非常に多く、休憩時間も少なく、計5時間ほど作業した。腰を痛めるほど大変だった。しかし、おかげで渓谷は大いに美しくなった。

 

この作業で学んだことは、「観光資源も大切」ということだ。復旧復興は、まずライフラインの確保、民家優先ということは当然である。その後、藤河内渓谷のような観光地も復興対象にすることも大切だと学んだ。 復興段階では、経済の活性化も大切だ。多くの方が被災地を訪れ、被災地に本来ある魅力に触れたり、お金を落としたり、活気あるとよい。これまでの2つの災害ボランティアでは民家が対象だったが、こうした観光地や公共施設の復興も視野に入れることが大切だと学んだ。

※以下の写真は、いずれも平成29年11月15日撮影。

写真16:多くの土砂や落葉で、美しい景観を損なっている藤河内渓谷。

写真17:バケツリレーで土砂を撤去。

写真18:作業後、美しくなった渓谷。トレッキング体験など、自然を大いに感じられる素敵な渓谷だ。

(4)自然と生きる~これからの自然災害に備えて。人もそんなに弱くない。~
  以上3つの被災地を訪問。各地で、自然の恐ろしさを痛感した。人は、自然と上手に生きていく必要がある。   まずは、「自分たちの足元を知る」ことが大切だと考える。自分が暮らす土地には、どのような自然があるか(川、海、火山、もろい岩盤など)をまずは知ることを侮ってはいけないかもしれない。私は、地元、おおいた豊後大野ジオパークで、ジオガイドも務める。地質やそれを生かした文化を、市内外の方に伝えている。地元には石橋や磨崖仏といった灰石の文化が魅力であるが、一方では、灰石が人手で彫りやすいということは、もろい岩盤であるとも言える。実際に、今回の豪雨や台風でも、岩盤が崩れる被害があった。またこれとは別に、現時点でも地すべり被害が続いている地域がある(豊後大野市朝地町綿田地区)。また、市内を流れる大野川についても紹介するが、同時に数々の洪水にも悩まされたこともガイドする。つまりは、自然の恩恵だけでなく、脅威の面も伝えることを心がけている。過去、地元の青年団でもジオめぐり企画をし、地元の地質について紹介した。今後も、団員はじめ市民に、自分たちの足元がどのようになっているのか、どのような地形なのか、起こりうる災害は何なのかを伝え、一緒に考えていきたい。それを踏まえ、どのような避難経路が適切かなども、実際に現地を歩いて考察するのも大切かと。備え、訓練が大切だ。

次に、「人とのつながりを大切にする」ことだ。いざという時に助けられるのは、やはり人だ。自然は恐ろしいが、人もそんなに弱くない。普段から、地域の人とつながることで、非常時に一緒に避難できたり、避難所生活でも協力しあえたりする。青年団も然りである。若手の力は、地域では不可欠である。また、自分が被災していなくとも、他の地域で被災している仲間がいるかもしれない。その仲間を助けられる青年団のつながりでありたい。そして、復旧・復興では、協力することで、いつかはもとの活気ある生活に戻れるかもしれない。人の力は、いずれ大きな力になると、今回のボランティアを通じて感じた。

最後に、「できることからする」。募金する、SNSで情報発信する、連絡を入れるなど、それぞれでできることはある。できることの大きさは問わない。できることから行動することで、防災や復旧・復興につながることも多いはず。できることから始めてみませんか。

以上、長文で恐縮だが、私自身の体験や考えである。参考になれば光栄である。繰り返すが、「自然は恐ろしい。でも、人もそんなに弱くない。」。最後までご一読いただき、ありがとうございました。