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会津からでは見えないリアル

福島県連合青年会 会長 長谷川 綾

 あの震災から7年になろうとしている。私の住む会津若松市は、何事もなかったかのように日常を取り戻し、各地にあった仮設住宅も取り壊し始め、避難者の人たちは少しずつ新しい生活を始めている。世の中の動きとして前に進んでいるように見えるが、市民としてはだんだん震災の経験を忘れ始めている頃である。

 そんな中、私は会津若松市北会津公民館の青年教育講座「パズル」事業に参加することになった。2月11日、震災の語り部のボランティアをしている方のお話を聞きに、いわき市の豊間・薄磯地区へ行ってきた。豊間・薄磯地区は、美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑があることで有名な、塩屋崎灯台の近くの集落である。そこのお土産屋の店長さんが語り部のボランティアをされており、お話を聞くことができた。「この地区は入りくんだ地形をしているから昔からそんなに大きな津波は来ないと言われていた。しかし、今回は違った」と、震災当時の写真をバックに語る店長さん。この地域に来た津波の高さは6メートルにもなり、しかも、じわじわと水かさが増していったわけではなく、一気に6メートルもの高波が襲ってきたという。私達もバスで豊間・薄磯を回って来たが、海岸沿いはほぼ更地で何も残っていなかった。犠牲者は80名近くにのぼる。この津波の凄惨さがわかる。

 波が去ってからのことや今後のことなど、他にも色々と聞くことができたが、頭に一番残っていることは、「『絆』って言葉が震災後よく使われたでしょ。今のこの地域じゃそんなものあってないようなものだよ」と、語ったことだ。この地区で何とか生き残った人たちと、近くの高台にある復興住宅に入居してきた新しい人たち。二つの住民同士に絆なんて無かった。元々住んでいた人たちには隣組などがあり、情報交換は常にできている。しかし、そのつながりは復興住宅の住民までつながらなかった。同じ地域に住みながら、別々のコミュニティを作り上げていたようだ。

 この事業に参加して、私たちは再度、「震災」「防災」「絆」の3つの言葉の意味を、再確認する必要があるかもしれないと思った。震災の経験によってどう今後の災害を防いでいけばよいか。そして、災害時にどれだけ人と人とのつながりが大切か。風化しかけている今だからこそもう一度見直していきたいと思う。