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「鳥取県中部地震を経験して」

鳥取県連合青年団 元団長 大上 美香

 2016年10月21日14時7分ごろに鳥取県の中部を震源として、鳥取県中部地震が発生しました。地震の規模はマグニチュード6.6で、震源の深さは11km、最大震度6弱を倉吉市、湯梨浜町、北栄町で観測しました。私が住んでいるのは、この最大震度を観測した北栄町です。7月に夫の実家に嫁いだばかりでした。家族は夫の両親、夫、生後3ヶ月の娘の5人です。地震が起きたとき、私は育児休暇中で家にいました。娘が一階の部屋で昼寝をしていたので、私は自分の用事をするために一人で二階の自分たちの部屋にいました。そのときの様子は今でも覚えています。

 最初は少しの揺れを感じたと思ったら、いきなり強く揺れ始めました。私は近くにあったふすまの柱にしがみつき、自分の居た場所から一歩も動くことができませんでした。娘のことが気になるけど、どうすることもできませんでした。揺れが収まったので、一階に居た義母に「お義母さん、○○は大丈夫ですか?」と二階から叫びましたが、返事がありません。もう一度、「お義母さん」と呼んだとき、「美香ちゃん、叫んでないで早く下りてきなさい」と外から声がしました。地震が起きたとき、娘の隣の部屋に居た義母がとっさに、娘を抱えて外に連れ出してくれたようです。二階から階段で下りるとき、ほんの数秒のことなのに、今また揺れたらどうしようと恐怖を感じました。外に出て義母から娘を渡してもらったとき、娘が無事で心底安心しました。娘はあれだけ揺れたにも関わらず、ぐっすり寝ていたようです。まだ小さくて逆に良かったのかもしれません。もっと大きい子だったら、泣いてパニックになっていたに違いありません。下手したら、トラウマになることだってありえると思います。実際、私自身が混乱していたくらいなので。それくらい地震は怖いものです。そして、その地震の中、冷静な行動をとった義母を尊敬します。

 外に出たあとは、しばらくの間庭にいました。家の回りには二階の屋根から落ちてきた瓦が散乱していました。庭にいるときも、何度か揺れを感じました。少し落ち着いてきたので義母が再び家に入ってみると、台所は米が散らばっており、食器棚の中の皿が数枚割れていたようです。あとは、裏にあるボイラーが故障しお湯が出ない状態でした。しかし、被害としてはこの程度で済んで良かったです。これから暗くなるに連れて何があってもいいように、布団と衣類と娘の紙オムツ、粉ミルク、お湯を入れた水筒を車に積んで待機していました。避難所に行くのか、車で寝るのか。この時点では判断ができませんでした。上空を見ると、ヘリコプターが飛んでいます。ニュースを見て、心配してくれた県内外の青年団の仲間からも連絡がきました。私はとりあえず無事を伝えたくて、フェイスブックで報告しました。こういう非常時に心配してくれる仲間がいるのは心強く感じました。 外にいる間に、外出していた義父が帰宅し、夫からも安否を確認する電話があり、家族全員が無事だということが分かり、安心しました。

 夫においては、中部地区(倉吉市、北栄町)に8店舗を展開するスーパーの本部に務めており、電話を切ったあとは、各店舗の見回りに行ったようです。店の中の様子は、商品を陳列している棚が倒れ、商品やガラスなどが飛び散っていたそうです。本部の上司からの指示で、危険だからすぐに店を閉め、お客さんを絶対中に入れないことを徹底していたようです。お客さんの中には、被災して水や食料を求めてきている人がいました。しかし、上からの指示を守り、お客さんを店には入れず、追い返す形になってしまい、夫も含め店員たちも複雑な気持ちになったと聞きました。後々分かったのですが、県外に本部がある別のスーパーでは、災害時レジと商品を店の外に持ち出し、外で販売をしていたそうです。おそらく、災害時にどういう行動を取るべきか、店としてのマニュアルがあったに違いありません。災害はいつやってくるかわかりません。もしものときのための備えやマニュアルは本当に必要なものなのだと、夫の話を聞いて改めて思いました。

 夕方になり、夫も無事に帰宅しました。避難所へは行かず、夕飯を簡単なもので済ませ、一夜を自宅で過ごすことを決めました。ずっと余震が続いており、また大きな地震が起こるのではないかと考えると、何をするにも手がつきませんでした。寝るのもどこで寝るのか、なかなか決めることができませんでした。結局、義母は自分の車で、私と夫と娘はいつでも逃げることができるように一階の客間に布団を敷き、娘の布団だけは万が一上から電気やものが落ちてきても大丈夫のように机の下に敷いて寝させました。それからは大きな揺れもなく、無事に朝を迎えました。

 地震から二日目、夫はいつものように仕事に行き、私たちも一階のリビングでみんな集まってテレビを見たり、新聞を読んだりしていました。メディアでは昨日の地震のことが大きく取り上げられています。まだまだ余震があり、騒ぎも収まる気配がありません。この余震は1ヶ月以上続きました。私の家の被害は少なかったですが、倉吉市内の方は地割れしているところがあったり、屋根の瓦が完全に崩れ落ちてしまっている家もあったり被害が酷かったです。屋根の修理が必要な家には、ブルーシートが配布され、私の家も業者を呼んでブルーシートを貼ってもらいました。今回の地震で一部損壊も含めた住家被害は1万棟を超えていたようです。屋根の修理も順番待ちで、私の家の屋根が直ったのは地震から8ヶ月も経ったあとでした。

 今日は義父の通院日。義父は腎臓障害を持っており、週3回は透析を行うため倉吉市内の病院に通っています。病院内も大きな被害はなく、予定通り透析をさせてもらえました。もし、透析ができない状況だったらって思うと本当に恐ろしいです。大きな爆弾を抱えて生きている人たちには何が命取りになるかわかりません。震災の恐怖はいろいろなところに関わってきます。

 また、昨日からボイラーが故障してしるためお風呂には入っていません。大人は1日や2日お風呂に入らなくてもどうってことありませんが、気になるのは生後三ヶ月の娘。なんとか清潔な状態で居らせてやりたい。考えた末、ポットで沸かしたお湯をベビーバスに入れて体をきれいに洗ってあげることにしました。翌日にはボイラーの故障も直してもらい、私たちも3日ぶりにお風呂に入ることができました。毎日当たり前のように入っているお風呂なのに、とてもありがたく感じました。

 今回の鳥取県中部地震を経験して、震災の恐ろしさや辛さ、日常生活が送れることのありがたさ、また、家族や友人、仲間の大切さを実感することができました。そして、震災に備えるための知識や準備も必要なことだと痛感しました。鳥取県連合青年団では、同年2月に防災事業を行なったばかりでしたが、そのとき学んだことを今回生かせたというと疑問です。防災意識は誰もが常に頭の中に持っていないと、いざ被災したときにすぐさま行動できないと思います。もし、自分がその場面に直面しても困らないように、これからも積極的に防災事業に参加したり、知識を勉強したりして欲しいです。また、被害が少ないほど、記憶が風化してしまいがちです。あのときの恐怖や辛さを忘れないためにも、私はこれからも防災について学んでいこうと思いました。