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現状と心境

日本青年団協議会 副会長 佐久間祥平

 あれからもう7年が過ぎようとしている。何年経ったらあの頃のことをはっきりと思い出せなくなるのかと、思うことがよくあった。だが少なくとも7年という年月では、まだ記憶は全く色あせていない。むしろ、あのことは我々が伝えていかなくてはいけない、という想いは以前より強くなっている。

 この「生きる」も執筆者や編集委員という立場から関わりはじめ、今年度は「生きる」を担当する日青協社会部の副会長となった。他の部に所属していた年も、被災県からの唯一の役員という事で毎年関わらせていただいており、非常に大切にしている活動の一つだ。

 全国的にみると、震災のニュースが毎日のように報道されることは既になく、県外に出たときにテレビを見ても、ほとんど目にすることはない。一方で地元の宮城県では、一時期より少なくなっているとはいってもニュースで震災関連の話題を聞かない日はない。災害公営住宅の事、そこに住んでいる高齢者の方の事、海岸沿いに堤防を建設していること、寸断されていた鉄道が新たにつながったこと、復興商店街が町ごと移動し大きくなったこと…現在でも県内ニュースに必ず1件は入ってくる。

 宮城県団への被災地訪問受け入れの依頼は、少なくなったものの年に数件あり、県団役員や時にはOBの力も借りながら対応している。私も法政大学からの学生受け入れを毎年引率している。今でも被災当時の状態が残る大川小学校や、当時の写真などが展示される資料館を訪れたときの、学生たちの神妙な面持ちは真剣そのもので、この活動も他の地域に、後世に伝えていく上で非常に意味があると考えている。

 私は日青協での4年間、東日本大震災の記憶を風化させないことを念頭に置いて活動を続けてきた。昨年第3部が完成した「震災パネル」を企画したのもその想いからだ。震災で被害があれだけ拡大した原因の一つは、津波に対しての備えや知識が圧倒的に足りなかったことが挙げられる。今後大地震が日本のどこかで必ず起こると言われている中で、頭の片隅に「防災・減災」の意識があれば、その人の命が助かる可能性は格段に上がるはずだ。この意識付けのためにも、私はこれからも発信し続けたい。あの揺れを体験した自分にこそできる役割だと考えている。